読むクスリ25(文芸春秋「文春文庫)から

 「明日へのアイデア」長い目でみれば


英国版・三方良し

 京都に本社がある計量システム機器メーカー「イシダ」が、ヨーロッパでの販売拠点になる現地法人を、英国バーミンガム郊外に置いた。
「まず土地を探させましたが、2エーカー(約2400坪)もある、かっこうの敷地が見つかったんです」
と社長の石田隆一さん。
 ただ、地主になっているコングロマリット(複合企業)側は、売るわけにはいかない、150年間の借地契約にしたい、という。
「その期間の長さにも驚きましたが、もっとびっくりしたのは、地代がタダみたいに安いことでした」
 2エーカー分で、日本円にして月3万円ほど。年間36万円そこそこでしかない。
 これは、借りてすぐ、どかん、と値上げされるのではないか、と石田さんは用心した。「そういいましたら先方は、いや、150年間に1パーセント以内の値上げしかしない、というのです」
 それを聞いて、かえって心配になってきた。
 これでは、あまりに話がうますぎる。こっちばかり得をして、先方にはまるでいいことがないではないか。
「じつはわが社の社訓は『三方良し』なのです。相手に損をさせるような契約はできません。かりに、しめた、と思って契約しても、そんな関係が長続きするはずはないのです」

 『三方良し』の社訓は、二代目社長だった祖父音吉さんと、三代目の父重成さんが、イシダがまだ小さなハカリ屋だったころにこしらえた。
 「古い近江商人の教えだそうで、自分を立て、相手を立て、人を立てて初めて商売は成り立つ、ということなのです」
 ビジネスはむろん、自社が儲けるためにやる。
 しかし同時に、取引先にも利益をあげてもらわなければいけない。
 そして、何よりユーザーに喜んでもらうことだ。
 「この三方が良し、すなわち共存共栄することを目指すのが、わが社の経営哲学なのです」

 石田さんの経営哲学を聞いた先方のコングロマリットからは、
  「どうぞご心配なく。ただし、三つだけ条件をつけさせてほしい」
といってきた。
 「第一の条件は、この土地に立てるイシダ・ヨーロッパの本社屋は、関連会社にう請け負わせてもらいたい、というものでした」
 先方は複合企業だけに、傘下に建設会社を持っている。そこに請け負わせることで利益をあげたい、というのだ。
 むろんイシダ側に依存はない。かえって建設会社を探す手間が省けて助かる。
 「条件の第二は、建設後のビルの補修や庭のメンテナンスも、関連会社に依頼する、ということです」
これも、むしろありがたい。
 そして条件の第三。
「これには、あきれるような気持がしたのですが、150年たって借地契約が切れるときには、建物の名義をコングロマリットのほうに変更してほしい、というのです」
 つまり、150年たったら建物はくれ、というのだ。

 日本では、150年後の建物のことを契約条項に入れるなんて、ちょっと考えられない。
 木造なら20年、ビルでもせいぜい50年で建て直すもの、と思っているところがあるからだ。
「ところがイギリスでは、そのあたりの感覚、ないし文化がまったく違います。土地の値段はほとんど上がらないけれど、建物は古くなるほど価値が出るのです」
 ロンドンでも、バーミンガムでも、十九世紀のビクトリア王朝時代にできた石造のしっかりした建物が、いま盛んにもてはやされている。
 これは先方は、よほど長持ちする立派な建物にする気だな、とうれしくなった。
「ものすごくスパンの長い、三方良しの精神、といえるじゃありませんか。すぐに契約に応じて堂々たる建物ができ、現地法人も大成功を収めています」
 イシダ・ヨーロッパは資本5千ポンド、わずか70万円で設立された。
 それがいま600万ポンド、8億4千万円もの内部留保を誇っている。
 お互い感覚と文化は違っても、『三方良し』でぴったり呼吸が合ったおかげ、といえるかもしれない。